設立の経緯


地域のお父さんたちが動き始めた

藤代おとうさん友の会 井上 忠志

この文面は、藤代おとうさん友の会設立3年後の平成13年に当時の世話人井上忠志氏が会の活動をまとめたものです。
その後平成18年には、この内容をもとにNHK教育テレビ「土曜フォーラム」で会の活動を紹介させていただきました。

1、はじめに

 茨城県南部に位置する旧藤代町は(現在、取手市)は、利根川とその支流の小貝川に挟まれた田園風景が広がる人口3万4千人の小さな地域である。東京都心から約40キロ、街の中央をJR常磐線と国道6号線が縦断する。
1960年代前半大手デベロッパーが宅地開発を行い、一面の田園風景に中に住宅団地がいくつか共存する自然環境に恵まれた地形にある。
 JR常磐線を利用すれば約50分で都心に通勤できるところから、東京に通勤するサラリーマン家庭が多い。この地には社協のボランティア講座がきっかけでできた会「藤代おとうさん友の会」がある。設立15年、地域社会と密接な関係を持ちながら、おとうさんたちが生き生きと楽しみながらボランティアを行っている。

2、社協がおとうさんのためのボランティア講座を企画

 住宅団地に住む住民はほとんどがサラリーマン、地元の農家の人も専業農家ではなく、サラリーマンをしながら農業を兼業している家庭が多い。住宅開発当初は三十代、四十代だったおとうさんたちもこのところ定年を迎える世代が急増しているという。こんな地域性を考えた社協が企画したのが、主にサラリーマンをターゲットにしたボランティア入門講座だった。40年ほど前から町に転入してきた世代はほとんどが60歳を超え、町の中には定年前後のおとうさんたちがいっぱいいる。おとうさんたちのパワーを結集できないかという社協の狙いがあったようだ。
1997年秋に3回の講座が開かれ、26名のおとうさんたちが参加した。社協の読みでは10名程度集まれば、といことだったらしいが、うれしい方向に読みが外れたそうだ。

3、講座の修了生が集まった

 3回の講座は1回はコミュニケーションワーク。一人ひとりが互いに理解し、つながりをつくるワークショップだった。2回目はおとうさんのための晩酌のつまみを作る調理講座、3回目に県の社協の方のお話。1、2回目は座学ではなく、実技的な内容で互いのコミュニケーションが図られたので、なかなか良い雰囲気の中で講座が進行した。
最後の終了式で皆さんに呼びかけた。時期は年末であったので新年明け早々に皆で新年会をやりましょうよ、と。これには全員が参加してくれることになり次の再会を約束した。
 新年会の盛り上がりもなかなかのものだった。23名参加のうち10名は定年退職組、13名は現役組だったが、互いに年齢や肩書などの話はタブーとして進行したせいか、心に残る新年会だった。この場で何かやっていこうよ、という提起がなされ、世話人を2名決め、「藤代おとうさん友の会」としてスタートすることにした。

4、会報と会のロゴが生まれた

 1998年に会が生まれ、間もなくしてパソコンの得意な会員が会のロゴをデザインして定例のおとうさんサロンに持ってきてくれた。なかなか良いデザインに会員一同すぐに賛成。ああでもない、こうでもないの時間がなく、小気味よい感じで即決。こういうやり方は会社などの組織ではあり得ないこと。じゃ早速Tシャツと帽子もお揃いのものを作ろうよ、他のメンバーの発言で今使っているロゴ入りのTシャツと「藤代おとうさん友の会」名入りのキャップが出来上がった。
 旗印ができると、会員の意識を合わせるのに都合がよい。活動の時には揃いのキャップとTシャツを着用している。
会報は随時発行、制作と発送作業は世話人の役割だ。毎月発行と決めると記事集めなど大変、A4一枚にメンバーに知らせたい情報を盛り込み、会員宅に発送している。数えてみるとおおむね1.5か月に1回発行している計算になる。

5、会則なし、会費なし、代表者なし

 おとうさん友の会は最初から会則がない。会則はないが運営のルールはある。運営のルールとは会の活動に全員が主体的に関わっていくということである。@毎月第一土曜日は決まった公民館でおとうさんサロン、A定例会やイベントなどは輪番制で全員が幹事をするB必要な経費は最小限とし、全員で出し合う、C会員がやりたいことを提案し、楽しく実行する。ただし、活動は町や町民に対する貢献につながること、D会の運営のために世話人を置くなどの最低ルールを入会時に伝えている。会員の年齢、職業、役職などは敢えて話題にしない。肩書ではなく、自分の持っている特技や技能で今私にできることを会の場で発揮していただこうということである。年齢などあまり気にしていなかったのだが、ボランティア保険に加入する際、生年月日を調べて初めて年齢が分かったという次第だ。会員は不思議に個人のプライベートな話題をあまり口にしない。
 互いこのルールを守りながら適度な距離感でメンバー間のネットワークが成立している不思議な会である。勿論、会員への連絡事務の補助や活動への情報提供など何かにつけ、社会福祉協議会事務局の方々の親切なサポートがあっての上で活動が成立している。

6、ボランティアは地域参加のひとつの形

 活動の中味は確かにボランタリーな行動だが、実は会員間で自分たちがやっていることを「ボランティアなのかどうか」とか「ボランティアしよう」とかいうスタンスで考えたことはほとんどないと思う。「楽しく」がキーワードだから活動そのものを自分たちが楽しみながらデザインしている。できるところから・・・の発想だ。しかし、活動の組み立て方、PR,人集めなどこのことに関しては町のどの部局にコンタクトをとればよいか、誰と連携すればよいかなど自身が幹事としてその場に立った時に切り開いていく必要がある。例えばイベントの告知を町の広報で発信する時、どの部局にいつまで申し込めばよいか、などを調べて原稿を入れる。この時に町からの情報発信の仕組みを知り、広報誌に関心をもつきっかけとなる訳である。町のクリーン作戦をやる時にはどこの部局と調整して清掃用具を借りるか、など具体的な行動の中から地域参加の面白み醍醐味を知ることとなる。3年目にもなると、会の中にもいろいろ行政や社協やボランティア団体との付き合い方のノウハウが蓄えられてきている。

7、イベントや情報を地域に聞く

 おとうさん友の会のイベントにはできるだけ町民に参加していただきたいとの観点から町の広報と社協だよりには参加を呼び掛ける告知記事を掲載している。なかなか多くの町民が実際に参加する、という具合にはいかないが、会のPRの意味も込めて一般募集を行っている。

8、楽しく活動が最も大事、そして振り返り

 2ケ月に1回のペースでイベントを組んでいるが、楽しく企画、楽しく実施、楽しく振り返りが大切なこと。楽しくやることで・・ねばならないという義務感や大変だ大変だという悲壮感を払拭しなければならない。もちろん楽しくない時もある。でもその時は幹事として分担している仲間のサポートがある。プロセスを楽しみながら準備したイベントには当日も楽しむ仕掛けがいっぱいに用意されている。楽しむためにはこの仕掛けが実は大切。何度かイベントを経験しているうちにおとうさんたちに染みついていくようだ。実はここらへんが世話人としても結構努力している点かもしれない。世話人である私の特技であるレクレーションコーディネーターの技が随所にタイミングよく挿入される。ハイライトはイベントの成功もさることながら、イベント後の振り返りの時間だ。終わってからの一人ひとりの感想をショートスピーチしてもらう。このときにはそれぞれの思いが短く反映されて、「ああそういう捉え方もあるんだ」「そういう考え方で行動していたんだ」といった新たな価値観の発見の場にもなっている。振り返りの時間はとても大切なことだと思う。

9、仲間ができる喜び

 メンバーの一人、大きな団地に入居して自治会長を経験した一人が言う。「家にいて何もしない引きこもり老人が多いよ」と。おとうさん友の会に入会する方々でも半分以上は仲間つくりが目的であった方のようだ。だとすれば会は地域のおとうさんたちの地域参加の受け皿になっていたんだ。毎月のおとうさんサロンに行けば活動を共にする仲間に出会える。そして新鮮な情報が得られる。さまざまな町民と触れ合える。そして活動を通してちょっぴり社会貢献をしているホットな心になれる。何人かは奥様から後押しされて入会してきた人もいるが、今はすっかり自発的な動き、おとうさん友の会はおとうさんたちの自立を促す役割もしていたのだ。

10、世話人の苦労

 世話人をしていて大変でしょう?よく言われる。大変でもないわけではない。でも自身のバランスシートではプラスの面が多い。自分の親以上の方々と同じ目線でお付き合いができるなどそうなかなかないことだし、何より多くのメンバーと最も密なコミュニケーションできる立場にいる。これは自身にとって楽しいことだ。その楽しさのためだったら、途中の大変なことは自己への投資にあたる。投資した価値よりも受け入れる価値のほうが大きいときには投資は苦にならない。多くのOBの方々を前に48歳で最も年少な私が世話人をしているわけだが、「やっぱり自分は好きだから」と思う。そう、好きだからやっているんだ。おとうさん友の会を通して町の社会福祉協議会やさまざまなボランティア団体の方々とお付き合いができる。今思うことは、自分が留守の間に連絡を受け取ったり伝言してくれたり、留守の間にフォローしてくれている女房にも感謝しなくちゃということだ。

11、行事は多彩

 今までのイベントはおとうさんの料理講座、特別養護老人ホームでナツメロ歌声交流、町内クリーン作戦、ごみ問題の勉強会(処理施設と企業の見学会)、介護保険学習会、食と暮らしの展示館学習会、つくばの先端科学施設見学会、ひなまつり料理講座、さつま芋栽培と収穫祭で親の会と交流などを行ってきた。行事の計画は毎年1月のおとうさんサロンで、メンバーから希望を募り、2ヶ月に1回平均のイベントを組んでいる。
 それぞれの担当は全員が何か一役を担うように分担する。最も時間を割いている活動が「おとうさんファーム」でのさつま芋栽培だ。5月中旬に苗を植え、10月中旬に収穫祭をする。その間、草取りにも何度かメンバーが集まる。苗植えと収穫祭では地域の障がい者の会の人たちと一緒に作業をする。秋の収穫祭では大きく実ったさつま芋を掘り、みんなで分ける。長い間丹精込めて面倒を見たさつま芋を前に障がい者の人たちが嬉々として掘ってる姿をおとうさん友の会のメンバーは目を細めて見ている。終わった後、場所を河川敷に移し、バーベキュー会と掘ったばかりの芋煮、ビールも出てにぎやかに交流が繰り広げられる。どのメンバーも自然体で障がい者の人たちと交流している姿が微笑ましい。

12、おとうさん友の会とIT化

 三分の一の会員はすでにインターネットでメールのやりとりができ、半分はFaxで情報交換できるメンバーである。二人の会員は町のIT講習会でボランティア講師を担当している。次回のおとうさん友の会通信からはe-mailによる発信も開始する。IT講習会では6人の会員が参加してメールを出せるようになるはずだ。会の活動にもIT活用が始まった。今後は多分今のIT講習会のフォロー活動もできるかも知れない。

13、お父さん友の会、これから

 3年半を経過し、やっと会の骨格ができつつある。現在は会員が34名なったことから世話人が3名体制(現役の私の他あと2名は退職した方)で運営している。地域社会でおとうさんたちの交流&ボランティアグループとして少しづつ知名度が上がってきたことはうれしい限りだ。おとうさんたちの地域参加の受け皿としての機能も果たしている訳だが、構えず気楽に社会参加できるきっかけがわたしたちの会から提供できることは有難いことだ。そして会を中心として地域に住むおとうさんたちのネットワークが拡大していくことで、きっとなにか良いことが起こる予感がする。
 おとうさんたちが持っているパワーをそれぞれに棚卸すれば相当数の技術、特技ノウハウを集約できるであろう。そして会社の定年前後の方々がまだまだ活躍の場が多くなることであろう。これを集約してまちづくりに活かせたとしたら、大きなパワーになるに違いない。好きなことをして楽しく町に貢献できるとしたら、こんなに嬉しいことはない。おとうさん友の会の場がいつもニコニコしておとうさんたちの笑顔が絶えない会として少しづつ少しづつ成長していけたらと思っている。(了)

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